②19世紀における心理学の展開
19世紀。
生理学・解剖学が発展。
人間の身体は、機械のように精巧な仕組みで出来ていた。
一方、人間の体験に関しては、
正確に外の世界を写し取っているとはいえない現象(錯視など)が様々に認められた。
1860年。
ドイツの学者フェヒナー(Fechner,G.T.)。
精神物理学を提唱。
フェヒナーは明るさや重さなど、個人の感覚を研究したかったが、主観的な感覚を科学的な実験で測定する方法がなかったため、自ら開発した。
ウェーバ=フェヒナーの法則。
刺激Aと刺激Bの物理的強さの違いと、それに対応する心理的反応の違いを対応付ける。
感覚の強さと刺激の強さの間には対数関係がある、とする法則。
ドイツの生理学者だったヴント(Wundt,W)。
生理学の反応測定実験に使われていた装置を、心理学に持ち込む。
外から刺激を与え、反応を見る、という生理学的方法に、
内観法という方法を用いて内的な観察も行う生理学的心理学を開拓。
ヴントは実験心理学と言い換え、自己観察のみに基づく古いタイプの心理学と区別が出来るとした(1874)。
1879年。
ヴントは勤務先のライプツィヒ大学にて、心理学の実験を行う研究室の運営を始める。
心理学実験室として世界中に知れ渡り、アメリカからはホール(Hall,G.S.)など多くの学者が留学。
ホールは帰国後、アメリカにて心理学実験室を開設。1892年には、世界最初の心理学者の学術団体であるアメリカ心理学会を創立。初代会長に就任した。
ジェームズ(James,W.)はヴントの著作に影響を受け、12年かけて『心理学原理』(1890)という本を記した。進化論を背景として、意識の適応的な機能を論じる機能主義心理学の代表となった。
ドイツなど欧州の大学は伝統を重んじるあまり、心理学と言う新しい分野の発展に対応し切れなかったが、アメリカでは進学実験室増え、心理学者の数も急増した。